2001年9月12日
日本短波放送
Personal drug (P-drug)について
昭和大学医学部第二薬理学・内田 英二
まずはじめに自分の経験を通した薬物療法についての考えを述べさせていただきます。
医師は臨床の現場でどのようにして自分の処方を決定するのでしょうか?
私が医師になりたての頃、患者さんを自分一人で診察したときのことです。問診や理学的所見から診断はついたのですが、治療薬の
選択に非常に困ったことを覚えています。その結果とった行動は、カルテを見て、以前同じ症状で診察に来られたときと同様の処方を
したことでした。私と同じ様な経験は多くの医師が持っていることだと思います。
医学部で学ぶ薬理学の教育は「薬物中心」で薬理学的な主作用・副作用の説明に焦点があてられています。一方、臨床現場では診断から、
治療目標の設定、薬物の選択へと逆のプロセスがとられます。臨床実習は「診断学中心」であり、「なぜある特定の治療法が選択されるか」
の説明や、選択方法の合理性についての討議が中心となることは多くありません。また、臨床医学の教科書や治療ガイドラインは推薦治療
を示してくれていますが、なぜその治療法が選択されるかの説明が記載されていることは希です。医師は自分の患者さんを治療する際の
すべての医学的判断に責任があります。そのために、エビデンスに基づいた論理的な医薬品適正使用のプロセスを教育することは、極めて
重要と考えます。日本における医学教育を考えると、適正な薬物処方の教育は十分とは言えません。ここ数年の間に、誤った処方のために、
本来避けられるはずの悲惨な医療事故が何件も報告されています。医薬品の適正使用の教育に関しては、世界的にも同様の問題があるた
め、WHOは1995年、6年前に、Guide to Good Prescribing(GGP)を出版いたしました。GGPは日本語に訳され、「P-drugマニュアル、WHO
のすすめる医薬品適正使用」として医学書院から1998年に出版されています。
今日はパーソナルドラッグ、略してP-drugの考え方についてお話しさせていただきます。
まずGuide to Good PrescribingとP-drugについて、簡単に説明します。
WHOの勧める医薬品適正使用の考え方は、問題学習型(Problem-based learning)の手法を通じて、問題解決型(Problem-based solving
)の治療を行うための適正な方法を推奨しています。この考え方が教育方法として有効であることを示す具体例として、7カ国の学生を対象
として短期間の薬物療法研修の効果を報告した論文がLancet(1995; 346: 1454-57)に報告されています。
P-drug(personal drug)とは、「自家薬籠中の薬」の意味です。「薬籠」とは江戸時代の印籠のようなものです。患者さんに処方を出す際に
選択する医薬品に関して、あらかじめクライテリアに沿った吟味を行い、自分の薬籠に置いて使用する医薬品のことです。自分のリストを
作成しておく利点は、まず1として、薬物の主要な特性と副次特性を区別できるようになり、薬物の治療的価値を決めることが容易になります。
2として、自分自身でP-drugリストを作成することにより、P-drugが利用できないとき(例えば、重篤な副作用、禁忌、入手不可能、標準治療薬が
利用できない、時など)、代わりの薬を選ぶことが容易になります。さらに3として、新薬についての様々な情報(新しい副作用、適応、等)を
効果的に評価することができるようになります。
次にP-drug選択のガイドラインをお話します。
P-drug選択のガイドラインには、5つのステップがあります。P-drugリストの作成となるこの5つのステップは、個々の患者さんの治療の前に
行っておくことが重要です。
@ Step i. は診断を定義する
A Step ii. は治療目標を特定する
B Step iii. は適応のある有効な薬物群の目録を作成する
C Step iv. としてクライテリアに従って有効な薬物群を選択する。クライテリアは、有効性、安全性、適合性、費用の4つで、これらに
それぞれ点数を割付けます
(1)有効性に関しては、臨床試験の結果と共に、薬力学と薬物動態学(吸収,分布,代謝,排泄)のデータも考え比較します.
(2)安全性は、可能性のある副作用,毒作用をまとめて比較します.
(3)適合性に関しては、最終的なチェックは個々の患者さんについて行われますので、リスト作成時には、扱いやすい剤形(錠剤,液剤,散剤など
)や服用法を考慮することになります.
(4)費用に関しては、医療費が国,保険会社,組合,あるいは個人によって負担されていても,治療費は常に重要な選択の基準です.
処方単位の費用というよりは,常に治療期間を考えた総額を考えます.
DStep v. ではStep ivで選択した薬物群の中からP-drugを選択します。この時のクライテリアも、4つ、有効性・安全性・適合性・費用で
点数化します。P-drugを選択したら、3つのことをまとめます。
(1)活性物質とその剤型を選択すること
(2)標準用量計画を選択すること
(3)標準治療期間を選択すること、です。
最後にこれらの結果をP-drugリストとして、まとめて記載しておくことが必要です。個々のP-drugリストには、患者さんに伝える、情報・指示
・注意、等を含めて記載しておくことが大切です。
ここまでが、P-drugリスト作成に必要な手順です。
さて、種々の疾患に対してP-drugリストを作成しましたが、P-drugが治療に利用できるかどうかは、目の前の個々の患者さんに対して再度
確認する作業が必要です。
患者さんを目の前にしたとき重要なことは適正治療の手順です。
適正治療の手順としては6つのステップがあります。
Step1は患者さんの問題を定義する。
Step2は治療目標を特定する(即ち治療によって何を達成したいかを明らかにする)
Step3としてP-drugの適合性を確認することになります
P-drugの適合性を確認する、ためには3つの項目について、それぞれ有効性と安全性を確認することが必要です。3つの項目とは、
目の前の患者さんにとって
@活性物質と剤型は適切かどうか
A用量計画は適切かどうか
B治療持続期間は適切かどうか
です。有効性に関しては適応と便宜性を、安全性に関しては禁忌、相互作用、ハイリスク因子を考えることです。ハイリスク因子には
妊娠、授乳、幼小児、高齢者、腎不全、肝不全
薬物アレルギーの既往、合併症、併用薬、などがあります。
そして、
Step 4. として処方箋を書き
Step 5. として患者さんに情報・指示・注意を与え
Step 6. として治療が有効かどうかをモニターする、ことが必要です。
P-drugの選択と適正治療の手順を簡単に述べてきましたが、P-drugの選択にあたっては、最新のエビデンスを活用すべきです。また、
既に作られているP-drugリストは最新のエビデンスによってアップデートされなければなりません。利用できる情報源の種類を明確にして、
それぞれの長所・短所を明らかにしておくことは特に重要です。
最後に、医師にとって、一度身につけた処方習慣を変えることは簡単なことではありません。従って、P-drugの考え方はできるだけ早く、
例えばベッドサイドに入る頃から、国家試験をパスして数年の間に、身につけることが大切と考えます。
私はP-drugの考え方を日本に紹介するために、数人の仲間とP-drug network-Japan略してP-NET-Jという会を組織して、毎年1回、適正処方の
ためのワークショップ(P-drug workshop)を開催してきました。昨年は、韓国・台湾・フィリピン・マレーシア・キルギスタン、からも参加者があり、
アジア地域のネットワークも出来始めたところです。
韓国では今年の2月に、医学教育学会・臨床薬理学会など4つの学会主催で30の医科大学から教育者を集め、P-drugワークショップを開催し、
私も東京大学の津谷喜一郎先生とファシリテーターをつとめてきました。日本でも今後、ワークショップに参加された方を中心として各地域で
ワークショップを開催し、さらに広めていきたいと考えています。
P-NET-Jの活動に関してはインターネットを御覧下さい。URLはhttp://p-drug.umin.ac.jp/です。
御静聴ありがとうございました。
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